【書評】榎孝謙(著)『逐条解説 予防接種法[改訂版]』
榎孝謙(著)『逐条解説 予防接種法[改訂版]』中央法規・2025年3月10日発行1 総評
購入して予防接種健康被害救済制度関連の部分を中心に一読しました。
本書については、言いたいこともあるのですが、まずは肯定的に評価します。
改訂前の版と比べて、明確な改善があるからです。
ただ、その改善点は、あくまで制度の解説書としての改善です。
願わくば、救済制度自体の問題点についても、問題点の洗い出しと改善を続けていただきたい、という意図で、本書の方向性を肯定的に評価して紹介します。
2 著者について
まず、著者の方について。
著者の方は、平成5年生まれ、平成28年厚生労働省入省とのこと。
つまり、まだ30歳と少し、在職10年未満という若い方です。
単独著者として名前を出していることも、改訂前の版である平成25年逐条解説(後述)とは対照的で、評価したいポイントです。
(平成25年逐条解説は、監修や編集代表しか示されておらず、著者・執筆者が示されていませんでした)
予防接種健康被害救済制度には多くの問題があり、本書がそれらに十分に切り込んでいるかといえば不満はあります。
ただ現職の立場上限界があることも理解できます。
いずれにしても、本書は、平成25年逐条解説と比較して明確に改善されており、行政の現場での対応力向上に寄与するのではないかと思います。
本書は、全体としては正しい方向(つまり制度の改善)を向いていると私は捉えています。
3 先行の類書との比較
予防接種健康被害救済制度の根拠法が、予防接種法とその関連政省令です。
予防接種法関係については、これまで、入手しやすい解説書がほとんどない状況でした。
唯一といってよかったのが、以下のものです。
・厚生労働省 健康局 結核感染症課(監修)『逐条解説 予防接種法』中央法規・平成25年10月10日発行(いわゆる「平成25年逐条解説」)
特に、
- 予防接種健康被害救済制度の創設時の経緯にほとんど触れていないこと
- 典型的には、昭和51年3月22日付伝染病予防調査会の答申さえ掲載していないこと
私見では、入手性が悪く情報が古いことをおいても、以下の書籍の方が評価できたと考えています。
・炭谷茂・堀之内敬(著)『逐条解説 予防接種法』ぎょうせい・昭和53年8月25日発行(いわゆる「昭和53年逐条解説」)
(書籍としての入手は困難ですが、国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスで閲覧可能)
昭和53年逐条解説は、救済制度の創設から間もない時期だけあって、制度創設時の議論を意識した記述となっており、上記の伝染病予防調査会の答申も掲載しています。
FAQ的な質問回答集も、救済制度よりも予防接種の現場から見たものが多く、現在から見れば不十分ながら、掲載しています。
この点で、平成25年逐条解説よりもまさっていました。
この流れで、本書は「令和7年逐条解説」と呼ぶことができますが、本書では、救済制度の創設時の議論をフォローしています。
昭和51年の伝染病予防調査会の答申に加えて、制度の前史にあたる昭和45年閣議決定の通知も掲載しており、予防接種法改正時の国会審議も個別条文の解説で紹介されています。
FAQ的な質問回答集にあたる内容も「補論」という形で掲載しています。
全体として、平成25年逐条解説に足りなかったところを改善していく、明確な意図を感じました。
4 本書の注目点
もちろん、本書には突っ込みが足りないと感じるところもあります。
例えば、救済制度における「障害の状態」の認定基準については記述が非常に少なく、本書を読んでもやはりはっきりしません。
あえて言えば、「書ける内容がこれしかない、ということがわかった」というところでしょうか。
これは本書の問題というよりは救済制度自体の問題なのですが、もう少し突っ込んだ記述がほしかったところではあります。
一方で、有益と思われる記述もありました。
因果関係の認定について、厚生労働大臣の裁量を認める記述は、以下のようになっています。
…なお、厚生労働大臣が因果関係を判定するに当たって、疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならないこととされている理由は、当該判定には高度の医学的知見が必要とされるためであるが、
疾病・障害認定審査会の意見に法的拘束力はなく、厚生労働大臣は当該意見を参酌して因果関係を判定すれば足りるものであり、
因果関係の判定は最終的には厚生労働大臣の裁量に委ねられている。…
(令和7年逐条解説・138頁)
ちなみに、平成25年逐条解説では、厚生労働大臣の裁量に関する記述は、以下のようになっています。
…第二項(厚生労働大臣は、認定にあたり、審議会等=疾病・障害認定審査会の意見を聴かなければならない)の趣旨は、
厚生労働大臣の認定は、医学的・科学的知見を踏まえた上で行わなければならない専門性、技術性の高い事項であることから、専門家の意見を聴取した上で、判断することを法律上義務付けるものである。
同審議会等の意見に法的拘束力はなく、厚生労働大臣は、同意見を参酌して判断すれば足りるものであるが、
最終的には、その責任において、広範な裁量により認定を行うこととなる。…
(平成25年逐条解説・101頁)
また、令和7年逐条解説は、仙台高等裁判所昭和63年2月23日判決(厚生大臣の因果関係の認定の誤りを理由として、市町村の不支給決定の取消を認めた裁判例)に言及しています。
平成25年逐条解説は、同裁判例に言及していません。
私自身は、「因果関係の認定」という概括的なレベルで裁量を云々することはミスリーディングではないか、救済制度の立法趣旨・立法過程に鑑みれば「疑わしきは認定すべき」であって「疑わしきを認定するかどうかの裁量」は認めていないのではないか、と考えていますが。
ただ、上記の記述は、厚生労働大臣の裁量があるとの前提に立っても、その性質や限界についての有益な検討材料を提供してくれています。
以下、私見かつ試論として検討します。
まず、それが「厚生労働大臣の裁量」である、言い換えれば、「疾病・障害認定審査会の裁量ではない」(=疾病・障害認定審査会の意見の適否は裁量とは関係ない)ということです。
次に、厚生労働大臣は疾病・障害認定審査会の意見に拘束されず、厚生労働大臣の裁量として因果関係を判定できる、そういう性格の裁量だということです。
そして、令和7年逐条解説と平成25年逐条解説の違いは、「広範な裁量」という言葉を、平成25年逐条解説は使い、令和7年逐条解説は使わなかった、同時に令和7年逐条解説は上記の仙台高裁昭和63年判決に言及した、ということです。
ここから、令和7年逐条解説の著者が、厚生労働大臣の裁量の性格・射程の限定、という視点を、少なくとも意識はしていることが読み取れます。
私見では、令和7年逐条解説の上記の記述が示唆する、因果関係の認定の構造は、次のように理解することができます。
厚生労働大臣は、ゼロから「認定」か「否認」かを裁量的に認定するのではなく、
疾病・障害認定審査会が高度の医学的知見に基づくものとして「認定」か「否認」かの意見を示した上で、厚生労働大臣はその意見を採用するかどうかを裁量的に判断できる(よって疾病・障害認定審査会の「否認」との意見に拘束されずに「認定」とすることも可能)、
厚生労働大臣の裁量とはそのような性質のものである、という捉え方です。
(もちろん、疾病・障害認定審査会が現実に高度の医学的知見に基づいて審議をしているか、できているかは、別論として検証が必要です。念のため)
したがって、仙台高裁昭和63年判決の場面のように、厚生労働大臣の認定に誤りがあるときは、
疾病・障害認定審査会の「否認」の意見が誤っていて、厚生労働大臣もそれに同調してしまったのであれば、
疾病・障害認定審査会の意見の適否の問題であって裁量の問題ではないから、
誤った認定は裁量によって適法にはならず、違法であり、後続の不支給決定も取り消されるべき、と考えることができます。
では、どのような場面であれば厚生労働大臣の裁量がはたらくのか、と考えると、例えば、
疾病・障害認定審査会において、担当委員2名の意見が分かれ、1人は「認定」、もう1人は「否認」の意見となり、審査会の審議でも一致しなかった場合に、厚生労働大臣が「認定」と判断する
などが考えられるかもしれません。
この場合、疾病・障害認定審査会の意見を採用したわけではありませんが、「疑わしきは認定する」という制度創設時に表明されたポリシーに忠実な認定とはいえます。
これに対して、平成25年逐条解説のように「厚生労働大臣が広範な裁量によって認定を行う」という論じ方をすると、上記の仙台高裁昭和63年判決などの裁判例との整合性の説明が厄介になるでしょう。
以上は、令和7年逐条解説の著者の意図を私なりに深読みした試論ですが、実務上も意義がある内容だと考えています。
5 おわりに
本書には、平成25年逐条解説の改善すべき点を洗い出し、改善を実行するという、明確な執筆意図が感じ取れます。
その方向性は正しく、ただ、それが制度自体のレベルに及んでいない点に不満を感じてしまうのでしょう。
ただ、平成25年逐条解説にかわるものとして、予防接種に関連する行政や司法の現場には、プラスの影響を及ぼすと思います。
著者の方には、今後も、予防接種健康被害救済制度の改善にぜひ力を振るっていただきたい、との応援の意図をもって、本書を紹介しました。
弁護士 圷悠樹(神奈川県弁護士会所属)